Diary 写メ日記の詳細
こんばんは
CATの優人です
セラピストとして活動していると
相手に気を使いすぎてしまうことがある
どうしたら喜んでもらえるのか
今の言葉は適切だったのか?
相手を退屈にさせていないだろうか?
そんなことを常に無意識に考えている自分がいる
例えばデートにしても
相手が少し静かになっただけで
何かつまらないことを言ってしまったかな?
少し疲れているのかな?
なんて考えてしまう
ただ考え事をしているだけかもしれないし
沈黙を心地よく感じているのかもしれない
それなのに勝手に不安になって
何か話さなきゃと話題を探してしまう
食事を決める時だってそう
「何食べたい?」と聞かれて
自分の食べたいものを答える前に
相手が何を食べたそうにしているか考えてしまう
食べやすさとかも考えちゃう笑
施術中も同じ
少し表情が変わっただけで
今の触れ方は嫌だったかな…
そんなことを考える
もちろん施術において反応を確認することは大切
むしろセラピストとして欠かせないことだと思う
ただ、相手の反応を見ているつもりが
いつの間にか相手の顔色を伺っていることもある
最近思うのは
気を使うことと顔色を伺うことは似ているようで違うのではないかということ
気を使うのは相手のため
顔色を伺うのは自分が嫌われないため
極端に言えばそんな違いがある気がする
例えば相手が疲れていそうだから休憩を提案する
これは気遣い
相手が不機嫌そうだから嫌われないように自分の意見を引っ込める
これは顔色を伺っている状態
同じように相手に合わせる行動でも
その動機は全然違う…
そして厄介なのは
自分では相手のために行動しているつもりでも
実は自分が安心したいだけだったりするということ
嫌われたくない
がっかりされたくない
楽しくなかったと思われたくない
そんな気持ちが知らないうちに三宅の行動を左右してしまう
でもそれって本当に相手のためになっているのだろうか
自分が気を使いすぎることで
相手まで気を使うようになってしまったら本末転倒
セラピストだからといって
常に正解の言葉や行動を選べるわけではない
ましてや相手の気持ちをすべて理解するなんて不可能
だからこそ勝手に想像して答えを出すのではなく
時には素直に聞くことも大切やね
そして何より
自分自身が自然でいること
相手に合わせるばかりではなく
自分の考えや気持ちも大切にする⇽押し殺してばかりだったけれど結構大事なのかもと思うように…
相手に一緒にいる安心してもらうためには
まず自分自身が安心してその時間を過ごすことも必要なのかもしれない
もちろん相手への配慮を怠るつもりはさらさらない
ただ、気を使うことに必死になって
目の前の人との時間を楽しめなくなったら嫌なのだ…
相手を大切にすることと
自分の意見を押し殺すことは違う
これはセラピストに限らず
人間関係すべてに言えることなのかもしれない