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こんばんは!CATの西島です。
世の中って、そもそも公平でも平等でもないんですよね。
これは「だから諦めろ」とか「弱肉強食だ」とか、そういう話ではありません。
ただ、完全な公平や平等を求め始めると、世の中のほぼ全てに「それって不公平じゃない?」が成立してしまうという話です。
例えば、生まれ持った骨格や体型、体質。
同じものを食べても太りやすい人もいれば太りにくい人もいる。
身長、顔、肌質、髪質、体毛の濃さ。
そもそもスタートから個人差があります。
そして日常生活でも「不公平」を探そうと思えばいくらでもあります。
例えばパン屋さん。
同じ300円でも、焼きたてを買えた人と少し時間が経ったものを買った人がいる。「同じ値段なのに焼きたてを買えた人の方が得。不公平だ」
と言おうと思えば言える。
脱毛だって、体毛が濃い人と薄い人が同じ料金なら、「毛が薄い人の方が施術する量が少ないんだから損じゃない?」とも考えられる。
オイルマッサージも、身体の大きい人と小さい人が同じ料金なら、大きい人の方がオイルをたくさん使う。じゃあ身体の小さい人は損なのか。
支払い方法だってそう。
同じ10,000円でもカードならポイントが付くし、お店側には決済手数料が発生する。
だったら、「現金払いはポイントも付かないし、お店に手数料も発生させてないのに同じ料金なのは不公平」という理屈だって成立する。
もちろん、こういう考え方が良いとか悪いとかではありません。
ただ、公平性や平等性を細かく突き詰めていけば、本当にキリがない。
同じサービスでも、話す量も違えば、使う備品の量も違う。
求める内容も違うし、受け取る満足度だって違う。
そこまで全部均等にすることなんて不可能です。
そもそも「平等」と「公平」も似ているようで違います。
全員に同じものを与えれば平等だけど、それが全員にとって公平とは限らない。
逆に一人ひとりに合わせて公平にしようとすれば、今度は全員同じではなくなる。
だから僕は、細かい損得を一個一個拾って、
「あの人の方が得してる」
「私は損してる」
「それって不公平じゃない?」
と考えるより、自分が支払ったものに対して、自分が納得できる価値を受け取れたか。
そこを見る方が大切だと思っています。
300円払って美味しいパンを食べて満足したなら、それでいい。
10,000円払って良いサービスを受けて満足したなら、それでいい。
隣の人が自分より5%得しているかを一生懸命計算しても、自分の満足度が5%上がるわけではありません。
むしろ「自分が損しているもの」を探す癖がつけば、世の中は不公平だらけになります。
だって実際、不公平で不平等なんだから。
完全に公平な世界を探すより、多少の不公平がある世界の中で、自分が納得できる選択をする。
僕はその方が人生はずっと楽だと思っています。
公平性と平等性を求めることは大切。
でも、それを求めすぎたら最後は、
「私の時よりあの人の方が笑顔多くない?」
「同じ180分なのに私の時より楽しそうじゃない?」
みたいなところまで公平性を求めることになる。
そこまで完全に平等にしようとしたら、セラピストは180分ずっと同じ角度の笑顔で、同じ回数笑って、同じ文字数喋らないといけなくなる。
それはもう接客じゃなくてプログラムです。
女風くらい、人間同士の『不平等』も含めて楽しみましょう。